古文対策問題 001(徒然草「仁和寺にある法師」)
【本文】
仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。
楼の下に、かたはらなる人を呼びて、「この寺は、かくて候ふぞ」と言ふを聞きて、急ぎ登りて、極楽寺・高良社など拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
それより、石清水は遥かに拝みて過ぎぬ。かく愚かなこともありけるよ、と人の言ひけるとか。
【現代語訳】
仁和寺にいるある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがなかったので、気がかりに思い、あるとき思い立って、一人で歩いて参詣した。
(石清水八幡宮の)楼門の下で、そばにいる人を呼びとめて「このお寺はこうなっているのですね」と話しているのを聞いて、急いで登って極楽寺や高良社などを拝み、これで十分だと思い込んで帰ってしまった。
それ以後は、石清水八幡宮を遠くから拝んで通り過ぎた。こんな愚かなこともあるのだと、人が言ったという。
【覚えておきたい知識】
文学史・古文常識:
- 作者:兼好法師(吉田兼好)。鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した随筆家・歌人。代表作『徒然草』。
- 作品:『徒然草』は、鎌倉時代の代表的随筆。さまざまな人物や世の中の出来事を鋭い観察とユーモアで描写している。
- 石清水八幡宮:京都府八幡市にある神社。古来より貴族や武士、庶民の厚い信仰を集めた。
- 仁和寺:京都市右京区にある、真言宗御室派の本山。仁和年間に創建された由緒ある寺院。
重要古語・語句:
- 年よる:年を取る。
- 心うく覚えて:気がかりに思って。
- 詣でけり:参詣した。
- かばかり:これだけ、これほど。
- 遥かに:遠くから。
- 愚かなこと:おろかなこと、ばかげたこと。
【設問】
【問1】法師が「石清水八幡宮」の本来の目的を果たせなかった理由として、最も適切なものを一つ選べ。
- 体力がなくなってしまったため、途中で帰ってしまった。
- 参拝の作法を誤り、別の寺社を拝んで満足してしまった。
- 石清水八幡宮がどこにあるのかわからなかったため。
- 人に案内を頼まず、一人で出かけたため。
- 道が険しく、登ることができなかったため。
【問1 正解と解説】
正解:2
法師は「楼の下」にいたにも関わらず、そばの人の言葉だけで満足し、実際に石清水八幡宮の本宮を参拝せず、途中にある極楽寺や高良社を拝んで帰ってしまいました。つまり、参拝の本来の目的地や作法を間違え、正しい参拝ができなかったのです。
【問2】「仁和寺にある法師」の行動から、作者が読者に伝えたかった教訓として最もふさわしいものを一つ選べ。
- どんなことでも、経験がなければ知識だけでは役に立たない。
- 人の話を鵜呑みにせず、自分で確かめることが大切だ。
- 物事を最後までやり抜くことが重要である。
- 年を取ってから新しいことを始めるのは難しい。
- 名所旧跡を訪れる際は、きちんと下調べをすべきである。
【問2 正解と解説】
正解:1
作者は、法師の「実際の経験がないまま見聞きしたことだけで満足してしまう」愚かさを描いています。知識や外見だけでなく、実際に体験することの大切さを教訓としていると解釈できます。
【問3】本文の表現について、正しい説明を一つ選べ。
- 「心うく覚えて」は、「誇らしく思って」と同じ意味である。
- 「詣でけり」の「けり」は、話し手の強い詠嘆を表す。
- 「かばかりと心得て帰りにけり」は、「これだけで十分だと思って帰った」という意味である。
- 「遥かに拝みて過ぎぬ」は、「近くで何度も拝んだ」という意味である。
- 「愚かなこともありけるよ」は、作者自身の経験談を語っている部分である。
【問3 正解と解説】
正解:3
「かばかりと心得て帰りにけり」は、「これくらいで十分だ」と思い込み、満足して帰ってしまったという意味で、文脈からも明らかです。その他の選択肢は語句や文法の誤読に基づいています。